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どの局もやっているワイドショーの新聞読み。本来だったら、この新聞記事は正しいのかどうかを検証して報道すべきなのだがどの局もそれをやっていない。かつて「ザ・ワイド」というワイドショーのキャスターをやっていた草野仁氏、2007年12月号の文藝春秋でこう書いている。
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ちょうど森政権の末期、ある女性週刊誌に、「支持率が悪いのに森総理がなかなか辞めないのは、退職金を少しでも余計にもらうためだ」というコラムが載ったんです。執筆者は税理士で、今、辞任すると退職金はこれだけだが、もうちょっと粘るとこれだけ増える、と数字が出ている。番組スタッフがこの記事を面白がって流用し、税理士のインタビューを入れてVTRを作ったのです。当日の打ち合わせでVTRを見せられて、「これはまずいぞ」と慌てました。まず客観性がない。総理をやめない理由が憶測にすぎず、証明のしようもない。自民党はメディアをチェックするモニタリングシステムを強化しているから必ず突っ込まれる。「絶対だめだ」と言いましたが、そういう日に限って他のコーナーの確認作業に時間をとられ、代替案を話し合う余裕がない。しかし放送時間は迫ってくる――。これをボツにしたら番組に穴があく、とプロデューサーに泣きつかれ、私も困り果てました。
しかたがない。VTR明けの私のコメントでバランスをとるしかない。「洋の東西を問わず、権力の座に着いた方は、一日でも長くその座に留まりたいと思うのは間違いない事実。まさかそんなことはないと思うけれど、日本の総理大臣がそういう風に言われてしまうのは、なんとも寂しい話ですね、有田さん」と、印象を和らげようとしました。
しかし案の定、強い抗議がきました。さらに悪いことに、税理士の算定基準に誤りがあった。翌日の放送で謝罪しましたが、これは本当につらい一件でした。
実際、すぐ番組が打ち切りになっててもおかしくないほどの致命的なミスでしたが、残念ながら、内部での検証がほとんどなされないまま、番組関係者の中に傷として残ってしまいました。
この「2001年4月3日事件」以降、政治にはヘタに触れないでおこうという暗黙の了解が生まれ、スタッフのなかに消極的な空気が醸成された。
そこに登場したのが、小泉純一郎首相です。ワンフレーズ・ポリティクス、劇場型政治といわれましたが、まさにテレビ向けの演出で「ワイドショー化」していく小泉政治に、われわれワイドショー側が対抗できなかった。腰が引けていたことは否めません。「2001年4月3日事件」の痛手です。
北朝鮮拉致問題だけは敢然として、小泉首相といえども厳しく聞いてまいりましたが、政治全体としては、小泉さんが演出するワイドショー政治に、ワイドショーが振り回されてしまった。その批判は甘受しなければと思います。
「2001年4月3日事件」の反省点は他にもあります。他人が書いた記事の内容を検証もせず、映像化して放送するなどということは、報道の原則からもあってはならないのです。自分たちの足で稼いで、独自に裏付け取材することを第一としてきた『ザ・ワイド』の精神が、しだいに緩んでいたのでしょう。
同じ意味で、いま多くの番組で行われている、その日の新聞紙面を読み上げるコーナーも、テレビ局本来のプライドを失わせるものです。テレビ局という大組織で予算もありながら、新聞を読み上げるのは、自分たちの取材力がないと白状しているようなものでしょう。私は、『ザ・ワイド』での夕刊早読みコーナーにも反対で、何年かやっていましたが、視聴率も決してよくなかったですね。
最初にはじめたテレビ朝日の「やじうま新聞」は斬新なアイデアだったと思いますが、今や新聞や雑誌の記事をそのまま紹介してコメントする形式が、多くの情報番組でごく普通になっている。長い目で見たとき、テレビへの不信感につながるかもしれません。
ただ、テレビ界の構造的な理由もあります。この10年あまり締め付けが厳しくなって、芸能ニュースなどは、大手プロダクションに所属するタレントのスキャンダルは取材できないのが実情です。かといって事務所側の発表ニュースばかりでは面白くないので、いきおい、雑誌のスキャンダル記事を紹介することになる。バブル崩壊後、取材費がかなり厳しくなったという実情もありますね。キャスターの出演料が制作費を圧迫している番組もあるようですが(笑)。(文藝春秋2007年12月号「ワイドショーは死んだ」草野仁著)
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この『ザ・ワイド』が終わったのは2007年9月だから、現在はどうか。今週発売中の週刊ポストでは、「さらば、テレビ」という特集を組んでいる。
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10年前の約9時間半から10時間40分へと1時間10分も放映時間が増えているテレ朝。同局の情報番組関係者が語った。
「朝の情報番組の場合、独自取材はゼロといってもいい、今朝の企画会議のラインアップの95%が新聞・週刊誌から頂いた情報です。スタジオさえあればニュース素材の編集で番組が作れるから安く済む。出張取材などほとんどありません」(週刊ポスト2011年8月19・26日合併号「さらば、テレビ」小学館)
———————————————————ますますエスカレートしているようである。しかも検証しているふしがない。「マスメディアは人から腐る」でこんな言葉を引用した。
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第二に、仮説を検証しないディレクターが生まれた。視聴者の耳目を集める企画をディレクターは提案したい。企画は前に書いたように仮説である。取材という検証を通じて初めて番組にすることができる。いわば番組に育てる前の芽のようなものだ。その前提が崩れた。
仮説の検証の第一は、まず現場に行くことである。関係者の話を直接に取材しなければ何事も始まらないはずである。ところが、仮説を立てるものと検証する者が別々になってしまった。(小出五郎著「新・仮説の検証 沈黙のジャーナリズムに告ぐ」水曜社)
———————————————————さすが、草野氏はNHKの出身なので、検証の大切さを知っている。ところが、このエントリーで書いたように、NHKですら、このありさまである。民放では、事実の検証の大切さを指導しているのだろうか。
出典: petapeta